岡田麗史 能 『熊野』 「文之段」
甘泉殿(かんせんでん)の春の夜の夢、心を砕く端(はし)となり。
驪山宮(りさんきう)の秋の夜の月終りなきにしもあらず。
末世一代教主の如来も、生死の掟をば逃れ給はず。
過ぎにし如月の頃申ししごとく、なにとやらんこの春は。
年古り増さる朽ち木桜、今年ばかりの花をだに。
待ちもやせじと心弱き、
老いの鶯逢ふことも、涙にむせぶばかりなり。
ただ然るべくはよきやうに申し、
暫しのおん暇を賜はりて、いま一度まみえおはしませ。
さなきだに親子は一世の中なるに、
同じ世にだに添ひ給はずは、孝行にも外れ給ふべし。
ただ返すがへすも命のうちにいまひとたび、
見参らせたくこそ候へとよ。
老いぬれば、さらぬ別れのありといへば、いよいよ見まくほしき君かなと。
古言(ふること)までも思ひ出の、涙ながら書き留む。